谷柏田植踊デジタルアーカイブ

南山形地区創生プロジェクトの実践プラン5により20年ぶりに復活させた谷柏田植踊を今後も継承していくために、谷柏田植踊デジタルアーカイブを作りました。このデジタルアーカイブでは現在、谷柏田植踊の演目の一つ「お正月」について、踊の詳細が分かるよう様々な角度から撮影した映像を扱っています。

 踊の映像は、全体と早乙女、源内棒、中太鼓を役ごとに撮影しています。また、正面からだけなく後ろから撮影したものや、上半身や足に注目して撮影したもの、正面から撮影したものを左右反転させたものもあります。

 他には唄の歌詞、源内棒と中太鼓の前列の踊り手3人が歌う前に言うセリフ(口上)の歌詞や、衣装・道具、谷柏田植踊の歴史についても扱っています。

谷柏田植踊の動画 「お正月(全体)」

 谷柏田植踊の全体を正面から撮影した映像と、練習用にそれを左右反転した映像があります。

谷柏田植踊の動画 「お正月(中太鼓)」

谷柏田植踊の動画 「お正月(源内棒)」

谷柏田植踊の動画 「お正月(早乙女)」


谷柏田植踊について


田植踊とは

 そもそも田植踊りとは、稲作の豊作をもたらす「まじない」の踊りで、稲作の仕事がよどみなく運ぶように演じられています。田植作業に新たに振り付けを加え表現されていて、冷害に苦しんだ雪国ならではの切実な祈りの芸能です。

一般には年の始めの挨拶から始まり、苗植えから稲刈り・収穫までの一連の稲作農業の手順に沿って演技が展開されています。山形県内には田植踊りの実施団体数が36もあり、山形県外にも福島・宮城・岩手に田植踊りがあります。中には中断されることなく現在も続いているところもあります。


谷柏田植踊の歴史

 谷柏田植踊とは、南山形地区である谷柏で踊られていた田植踊のことです。

 谷柏田植踊には伝承の記録はなく、師匠の口伝えで受け継がれてきました。発生地は山形県上山市金生(かなおい)で約300年前から行われていて、それが旧堀田村(今の上山市)金瓶(かなかめ)というところに移って、約130年前に谷柏でも受け入れて伝承されました。谷柏に在住していた慶応2年(1886)生まれの山口円蔵氏は、幼い時から芸を習っており、金瓶村の農家に百姓奉公に行き、金瓶の若者と一緒に当地の斎藤松太郎(松助か)師匠(当年35歳)から田植踊を習いました。こうして山口円蔵氏による田植踊りが谷柏にもたらされました。


 谷柏田植踊の演目は次の通りです。

     ほめ言葉

     返す言葉


 また、役付は以下のようになっています。


 谷柏田植踊は戦争で若者が戦地に行ってしまったため、後継者不足となり中断されましたが、戦後は今まで男性が踊っていた田植踊りを復活させるために女性たちが踊るようになりました。また、田植踊り保存のための郷土芸能保存会が設立されました。

 女性たちが踊るようになった谷柏田植踊は大会やお祭りにも出演し高く評価されていました。そして再び後継者育成のため、昭和46年9月14日、丹野正先生の講演をお聞きし、部落の若手婦人(若妻)たちへの田植踊りへの参加依頼を始めることになりました。その後部落会長の伊藤慶作氏は、村の若手婦人(若妻)の方々に家庭訪問をして協力を依頼して回ったそうです。その結果昭和47年7月8日若手婦人たち20数名のメンバーが揃うことになりました。

しかし、平成になり、再び後継者不足になり、とうとう谷柏田植踊は約20年ほど中断されてしまいました。


谷柏田植踊の復活

 東北文教大学では地域と連携することを目的に南山形地区創生プロジェクト委員会が立ち上げられ、その中で谷柏田植踊の復活・継承運動に取り組むことになりました。地域の方々と東北文教大学の学生ボランティアがプロジェクトに参加し、まずは谷柏田植踊の演目の一つである「お正月」の復活に向けての練習が始まりました。ですが、唯一残されたVHSビデオを頼りに踊の練習をしていたため、復活させるのはとても難しかったです。そのビデオが時々アップで写ったりして足の動きがわからなくなったりするようなもので、得られる情報が不十分なためでした。

 そんな苦労を乗り越えるべく、地域の方々とも集まって合同練習を重ねた結果、谷柏田植踊は2016年に行われた東北文教大学大学祭で20年ぶりに復活しました。2017年現在ではボランティアの一環ではなく民俗芸能サークルとなり、東北文教大学の学生7名が参加しています。また、2017年の大学祭では「お正月」だけでなく、もう一つの演目である「思ふ人」が披露されました。



お正月(口上と唄)


口上

えーとこな御亭(ごてい)様(さま) 家(おうち)にあがるや御免(ごめん)なされ

明(あ)きの方(ほう)からお田植(たうえ)が参(まい)った千秋(せんしゅう)万世(ばんずい)先(ま)づ以(もっ)て御(お)目(め)出(で)度(とう)御(ご)座(ざ)る

然(しか)ればこれの御(ご)旦(だん)那(な)様(さま)には好(よ)いしゅう日取(ひど)りとあってお田植(たうえ)を成(な)さる時はおいなさる

見(み)れば代(しろ)の掻(か)き様(よう)も結構(けっこう)さ練(ね)り練(ね)り練(ね)んばりとして好(よ)い代(しろ)なり

苗(なえ)を見(み)れば上々(じょじょ)の上(じょう)苗(なえ)投(な)げれば打(う)つ立(た)つ様(よう)な苗(なえ)なり

頭(かしら)の一(いち)水(みな)口(くち)よりおっ初(ぱじ)めしどのこうさのこうやなぎ

づたまで十六(じゅうろく)、七(しち)のおうなすかたびらにおうじらすがぶっついた如(ごとく)に

苗(なえ)元(もと)取(と)ってばらばらばらっとやってくれまいかな


1.お正月(しょうがつ)のやんが御(お)目(め)出(で)度(たく)御座(ござ)そうろうなごん

へー祝(いわ)い立(た)てた門松(かどまつ) ヨイトコサラー

2.しろやがんねのやんが銚(ちょう)子(し)盃(さかずき)なごん祝(いわ)い申(もう)すぞ御亭(ごてい)様(さま)

3.恵(え)比(び)寿(す)大(だい)黒(こく)やんが酌(しゃく)に立(た)ててなんうかの舞(まい)の御(お)酒(さか)盛(もり)

衣装・道具


 中太鼓・源内棒・早乙女ごとに衣装と道具を紹介します。

 中太鼓と源内棒は陣羽織が異なっており、残りの衣装は共通になります。

中太鼓

陣羽織

中太鼓

源内棒

陣羽織

源内棒

中太鼓・源内棒共通

〜頭につけるもの〜 

はちまき

~陣羽織の中に着るもの~

襦袢

腹当て

~両手につけるもの~

手甲

もんぺ

巾(はばき)

わらじ

足袋

衣装全部

早乙女

〜頭につけるもの〜

豆絞り

前掛け

につけるもの〜

浴衣

帯上げ

帯板

につけるもの、持つもの〜

手甲

扇子

脚絆

草履

足袋

衣装全部