活動報告

平成28年度報告一覧

2016/12/13


―全5講座が終了しました―

 お陰様で予定しておりました5講座全てが終了し、合計で244名と非常に多くの方々に受講いただきました。足をお運びいただきました皆様、そして講演いただきました講師の方々、誠にありがとうございました。今まで知られていなかった事も多くあり、南山形地区の歴史や文化を再発見する貴重な機会になったのではないかと思います。

第3回「氷河期の埋没林」山野井徹氏(山形大学名誉教授)


 今年度の講座の中では唯一の現地学習ということで、南山形コミセンを離れて大型バスに乗って仙台市まで足を運ぶ研修会となりました。最初は、谷柏にある「氷河期の埋没林」を見学、その成立過程やこれからのことなど、山野井先生の詳細なご説明をいただきました。その後、高速道路を仙台市に向かって走り、途中昼食をはさんで、午後1時頃に公益財団法人「地底の森ミュージアム」に到着しました。別名「仙台市富沢遺跡保存館」ともいうようです。その名のとおり、旧石器人の狩猟・採集生活の舞台となった約2万年前の氷河期の森林遺跡で、発掘された状態で保存・展示されていました。その広大さには圧倒されました。基本的に谷柏の氷河期の埋没林と同様の遺跡と考えられます。

 谷柏の埋没林の保存のあり方について、今後南山形地区全体で考えていかなければならない大きな課題だと感じて帰ってきました。天候にも恵まれ、大変楽しく有意義な一日となりました。

第4回「羽州街道の歴史」片桐繁雄氏(郷土史研究家)


 片桐先生は、羽州街道を行き来した江戸時代の文人等が残した記録や作品の紹介、明治に入ってから街道を整備したり隧道(すいどう)を掘ったりした歴史などを通じて、羽州街道のソフトとハードの両面から取り上げて、その役割をお話下さいました。たとえば、羽州街道を通った人々の記録として、秋田藩の家老「梅津政景日記」や高山彦九郎の「北行日記」などを提示、「お国替え絵巻」では、須川にかかる坂巻橋の図を通して当時の羽州街道を行く旅人たちの姿をわかりやすく説明して下さいました。明治に入ってからは、隧道を掘った山形県初代県令である三島通庸の話題や、明治16年に青山延寿が刻んだ上山新道碑などに触れていただき、羽州街道の多面的役割が理解できました。

第5回「南山形地区の民俗」佐藤晃氏(東北文教大学短期大学部教授)


 佐藤先生は、大学の授業の一環として、学生とともに地域の方々を訪ねて民俗調査を行っております。本講座ではその調査研究の成果の一部をお話して下さいました。調査では、南山形地区には、じつに豊かな民俗の記憶が残されていることがわかったということです。たとえば、結婚式の儀礼では、ムカサリ行列が行われており、モロヤ衆という一群もおりました。モロヤ衆というのは、ムカサリ行列に一緒について行く家族や親族のことをさしていたようです。また、三三九度の杯の際のオナツボの経験を持つ方がおられ、記憶を語ってくださったということです。オナツボとは、三三九度の盃にお酒を注ぐ役目の稚児(男児・女児)のことで、一般にいう雄蝶・雌蝶のことのようです。このほかにも、地域の方々に多くの生活風習、民俗について語っていただきましたが、このたびの講座ではそれらをまとめてご報告いただき、大変おもしろくまた参考になりました。

★復活!「谷柏田植踊」特集★

平成28年10月9日(月)東北文教大学祭にて、「谷柏田植踊」が初披露されました。当日は雨の予定でしたが、天候にも恵まれ野外で実演を行うことができました。野外に高鳴る寄せ太鼓の音に惹きつけられ、地域の方々をはじめ、多くの学生・教職員が足を運んでくださいました。また、報道関係者も多く、後日テレビや新聞に大きく取り上げられました。そして、その後も10月15日には「村山民俗学会」のレセプションパーティーや、同月30日には南山方地区の文化祭で実演等、復活後間もなく、多くの披露の場をいただき、大変に嬉しく思います。

 本プロジェクトを通して地域の方々、教職員、学生と世代を超えてかかわり合い、南山形地区の歴史と文化を学ぶ、大変貴重な機会となりました。また、今回は「お正月」のみの披露となりましたが、今後もその他演目の復活・継承に向けて進んで参ります。

「谷柏田植踊」について

 田植踊りとは、豊作を願い小正月に奉納する伝統行事であり、「谷柏田植踊」は江戸時代後期(推定)から山形市谷柏地区で踊られていました。もとの演じ手は男性であったそうですが、戦争などの影響で女性が演じるようになったそうです。そして、高齢化と後継者不足により、これまで約20年ほど中断していました。以下は、昭和56・57年の谷柏田植踊保存会の貴重な写真です。

・・・・・・ 役のご紹介 ・・・・・・


 踊り手は、掛け声や口上を織り交ぜながら前方で力強く舞う、「中太鼓」・「源内棒」(写真①)と、田植えの動きを表現し、後方で踊る、「早乙女」(写真②)です。それから、演目の前に行われる寄せ太鼓(写真③)と、演目「お正月」の伴奏および演目間に太鼓をご披露して下さった陰太鼓の方々(写真④)、「お正月」を歌って下さった歌い手(写真⑤)の方々です。

1本のVHSビデオから各自練習ができるようにDVDに変換していただき、映像から見よう見まねで振りを起こしたり、歌を楽譜に起こしていただいたり、着付けや所作を学んだりと、協力委員や地元の方々に温かくサポートしていただきながら練習を積み重ねました。お力添えをいただきました皆様に、厚く御礼申し上げます。

10月に行われる本学大学祭での実演を近い目標に、まずは唄・太鼓・踊り手の役を割り振り、貴重な資料やビデオから唄や踊りを起こす作業を行っています。唄はこれまで口伝えで継承されていたため、地元協力委員である伊藤香織さんがビデオから聞いた音を譜面に起こして下さり、メロディーをピアノで弾いたCDを作成して下さいました。それを元にまずはみんなで唄の練習をしているところです。唄はなまりやニュアンスの違いがあって非常に難しいですが、何度も音源を繰り返し聞いて頑張っています。

踊り手は、前方で踊る中太鼓(1人)・源内棒(2人)と、その後で踊る早乙女(4人)の役があります。それぞれ映像を見ながら必死に覚えています。映像に残る踊りは、ご高齢の女性の方々が踊っているにもかかわらず、非常に力強くて躍動感があります。そんな、南山形に残る貴重な伝統芸能を復活・継承すべく、学生・教職員・地域の方々が一丸となって頑張っています!!衣装は、公民館に残っていることが確認でき、一安心です。

第1回「南山形地区と方言」加藤大鶴氏

 加藤准教授は、2010年に南山形での調査を開始し、web版南山形ことば集を作成して方言を音声で残す等、南山形のことばについて研究を積み重ねておられます。今回の講座では、「言葉の歴史は川の流れと似ていて、枝分かれしたり、途中で途切れたり・・・」との興味深いお話しから始まり、専門的な視点でありながら、わかりやすく、深く、説明して下さいました。方言の分布の仕方やことばが変化していくパターンはいくつかあり、東西で分かれるAB分布や、古語が端に残り、中心に新しいことばが広がるABA分布等があるそうです。今回、南山形ことばを切り口に様々な歴史的背景も知ることができ、来場者は終始興味深く耳を傾けていました。

第2回「南山形地区の考古遺跡」茨木光裕氏

南山形では土器や石器、埴輪、古墳などたくさんの遺跡が見つかっており、縄文時代前期、約6000年前の遺跡と考えられる、20mほどの竪穴住居跡も発見されているそうです。発見された遺跡から当時の生活状況や信仰形態等を知ることができ、南山形の様々な歴史を知ることができました。今回の講座では、梅雨空の中、約60名ほど足を運んで下さり、多くの方にお話しを聞いていただくことができました。ありがとうございました。

さて、次回は埋没林(谷柏)と地底の森ミュージアム(仙台)のバスツアーです!実際に見て、南山形の歴史をダイレクトに感じましょう!

南山形地区の歴史やくらし、自然などをDVDで映像化しようと、これまで3回の会議をもちました。その結果、平成28年度は南山形地区の「文化編」を作成することになりました。来年度以降は「自然編」や「歴史編」などにとりかかります。地区の小正月行事「ゆわゆわ」などをはじめとする年中行事、谷柏田植踊などの民俗芸能、お葬式で必ず出されたという「だし」などの食文化、松原焼などのやきもの文化、などをDVDに収めていこうというものです。現状を映像で表現できない部分は、学生に絵や紙芝居を描いてもらい補っていこうと考えております。すでに黒沢地区のさくらんぼ農園や、7月16日(土)に行われた黒沢いこい荘(老人福祉センター)の夏祭りなどの撮影にとりかかっています。

実践プラン1では、「2万年の歩みを刻む南山形を知る・楽しむ」活動の一つとして周遊コースの策定を行います。実践プラン2では、「南山形地区ガイドマップ」作製・出版活動として、文化財以外にも新たな要素を加えた内容も盛り込んだハンドマップの作成を行います。そこで、実践プラン1と2のメンバーが合同で、自転車に乗って周遊コースの情報収集に出かけてきました。

第1案とする周遊コースは、①東北文教大学→②下問屋跡→③松原番所跡→④上問屋跡→⑤一里塚跡→⑥旧金井村役場跡→⑦渡辺久右エ門家→⑧松原不動尊→⑨黒沢温泉いこいの広場→⑩須川河川敷公園→⑪蔵王駅前のルートです。
プロジェクト委員、地域の方3名、学生12名、教員4名で行ってきました。

PICK UP!
★渡辺久右エ門家
渡辺家は成沢城主の家臣であったが、最上家改易とともに帰農し、代々大庄屋役を務めた。街道に面した茅葺きの家屋と門や黒板塀のたたずまいは当時の面影を伝えている。明治14年の明治天皇東北巡幸のおり小休した行在所(あんざいしょ)があり、今も移築され保存されている。

明治14年の明治天皇東北巡幸のおり小休した行在所の内部を見せていただきました。また、小休所普請中に掲げられた日の丸の御普請所の旗、門前に掲げられた小休所の立札、拝領品のお金と三ッ組盃を見せていただきました。拝領品のお金は、当時のお金で百圓だったそうで、現在の価値では400万円になるそうです。

炎天下の中、自転車で辿った周遊コースは、歴史や自然がいっぱいで充実した時間でした。やはり実際に足を運ぶと様々な発見や学びがありました。次回のコース巡りも暑さに負けずがんばります。今回ご協力いただきました皆様、本当にありがとうございました。

平成27年度「未来に伝える山形の宝」に登録されました。

沃野(よくや)が広がる南山形~氷河期から刻む2万年の歴史と恵みの里~

【東北文教大学・南山形地区創生プロジェクト委員会】

2016/09/01


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これから情報発信していきますのでよろしくお願いします。